プレミアム10「カーペンターズ ~スーパースターの栄光と孤独~」
この番組を見てカーペンターズのすごさがよくわかった。彼らのサウンドはポップスの王道ではあるけれども、サイモン&ガーファンクルのような新しさがあるわけではない。好んで60年代の曲を取り上げ、オリジナルの曲もそれに近いがテイストを持つ。しかし、遙かに洗練されていて、驚くほど完成度が高い。それはやはりすごいことなのだ。
カーペンターズは当時レコード会社の重役をしていたハーブ・アルパートに見いだされてデビューするが、ロック全盛の時代なので、レコード会社はやる気がなくデビューアルバムのジャケットのデザインもおざなりだった。それでもすぐに頭角をあらわし、「遙かなる影」が全米1位の大ヒットとなる。曲も歌も完璧。その頃はヴェトナム戦争が泥沼化し、カーペンターズの曲はそういったことを忘れさせて幸せな気分になれる、いわば現実逃避の役割があったらしい。しかし、評論家の受けはよくなかった。当時はジミ・ヘンドリックスやレッド・ツェッペリンが人気があった時代なので、カーペンターズのような優等生タイプは理解されず意味もなく酷評されたのだ。その後のカーペンターズの活躍を見ると、評論家より一般大衆の耳の方が確かだったといえる。
今は結婚式の定番となっている「愛のプレリュード」は、ある銀行のCMソングだったらしい。オリジナルと比べると、リチャードのアレンジとカレンの歌がいかに素晴らしいかがわかる。 「トップ・オブ・ザ・ワールド」が2枚目の全米1位のヒット曲となる。それからの人気は本当にすごかった。1974年には海外も含めてステージが203回という殺人的なスケジュールが組まれたために、この年にはアルバムを出していない。ステージの演出も派手になり、カーペンターズらしさを失っていた。
「イエスタデイ・ワンス・モア」などのリチャードの曲の歌詞を書いたジョンベティスは、歌詞は自分たちの自伝的な内容だといっている。カレンの一番好きな「青春の輝き」ができたときのことを次のように語っている。
ステージがはねてから、カレンと一緒にホテルまで歩きながら、「自分たちに欠けているのはなんだろう」と話した。時間をかけて完璧なアルバムを作り、人間関係にまで完璧さを求めてしまったのだ。
カレンは結婚して母親になりたがっていたが、忙しさにまぎれて恋する暇もない。歌詞の「I know I need to be in love / I know I wasted too much time」という部分はカレン自身のことなのだ。
忙しい生活を続けるうちにリチャードは睡眠薬にはまり、カレンは拒食症になる。リチャードがリハビリをしているときにカレンはそろアルバムを出すが、発売されることはなかった(発売されたのはカレンの死の13年後)。リチャードは「アレンジや唄が悪いわけではないが、光るものがなかった」といっている。その頃はやったディスコサウンドだが、確かに人を感動させるものはない。やはりリチャードがいなければダメなのだ。ドラムに夢中だったカレンに唄うことを勧め、カレンの声を生かす曲を選んだのはリチャードだった。 その後カレンは電撃的な結婚をするが、一年あまりで破局を迎える。離婚後は拒食症の治療をはじめるが、回復することはなかった。32歳の早すぎる死だった。
(この記事は2007年4月22日に書きました)
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